
出口王仁三郎の生い立ちは赤貧洗うがごときの生い立ちだが、神秘体験を重ね“予言者出口王仁三郎”となってからは、
数々の予言で世間を騒がせた。日刊新聞を発行するなど、マスコミを利用した布教活動で、知識人や軍人にもかなりの信者がいたという。
明治三十年代や大正のはじめに「日本帝国の滅亡、天皇の人間宣言」などを予言し、第一次大本教事件を起こしたり、
関東大震災、第二次世界大戦、広島・長崎の原爆投下なども予言したということである。
出征兵士(信者)には「逃げかくれて早く戻ってこい」と語ったり、千人針には「我敵大勝利」と書き、
「今度の戦争は、生き残るのが第一の神徳」と言い切ったりと、様々な話題をまいた人物である。
しかし、しだいに弾圧され、昭和十年には大本教は完全に禁圧された。
教祖出口王仁三郎の墓は、墓所を小潅木で囲み、正面に屋根つきの祭壇がおかれている構えである。
なにやら宗教的な神秘性すらただよう。
戒名 |
- |
玉垣 |
ー |
職業 |
明治・大正・昭和期の宗教家 |
境石 |
ー |
没年齢 |
76歳 |
竿石 |
ー |
所在地 |
京都府綾部市 |
石質 |
台石自然石系 |
墓の方位 |
西 |
墓のスタイル |
奇型、円墳のみ |
正面入り口の方位 |
西 |
台座 |
1段・高さ280cm |
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1987年現在の資料に基づいております。