
庶子として生まれ、四歳で両親と死別し、十三歳で結核に罹った彼の少年時代は、心と肉体の苦痛と闘う日々であった。
病状の悪化から、二十歳までに二度も危篤状態に陥っている。
一時は死線をさまよい、奇跡的に乗り越えた賀川豊彦は、残りの人生を貧しい人々の生活を救うために費やす決意を固めた。
後に世界的な評価を受け、大ベストセラーとなった著書『死線を越えて』は、そんな彼の異色の伝道活動の実録である。
「キリスト教社会主義」に基づく彼の伝道活動は、神戸・新川の貧民窟での路傍伝道から始まる。
時に豊彦二十一歳。失業者や病人の世話に明け暮れる生活は、その後十一年にわたり続けられた。
その間、三年間のアメリカ留学をはさむが、帰国後はまた貧民窟に戻り、無料巡回診療を始める。
貧民窟での伝道は、豊彦に社会保障や労働問題の解決の必要性を痛感させ、晩年の彼は世界的社会運動家として知られる。
他界したのは七十二歳、伝道五十年の教職者として表彰を受けた翌年のことであった。
生前、貧しさに負けず、伝道に励んだ彼。多くの信者たちによって建立された墓は、なんと堂々としていることか。
戒名 |
- |
玉垣 |
無 |
職業 |
大正・昭和期のキリスト教社会運動家 |
境石 |
初段60cm・2段56cm |
没年齢 |
72歳 |
竿石 |
66cm |
所在地 |
東京都府中市・多磨霊園 |
石質 |
花崗岩(灰色) |
墓の方位 |
西南 |
墓のスタイル |
奇型 |
正面入り口の方位 |
西 |
台座 |
2段・高さ34cm |
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1987年現在の資料に基づいております。