
昭和三十四年十二月三日、片山潜の生誕百年祭が、東京神田一ツ橋の如水会館で行われた。その時、ともに仕事をしていた石橋堪山前首相が、ユーモアを交えたスピーチを行った。「彼は共産党員というよりキリスト教社会主義者といった感じの人だった。それが日本の官憲に追われ、追われてモスクワまで行き、遂に党員になってしまった。」当たらずとも遠からずといったところかもしれない。
岡山県久米郡弓削町に生まれ、独学で小学校代用教員となり、上京。この頃は熱心な忠君愛国者だったそうだ。明治十七年渡米、皿洗いなどをしながらエール大学で社会問題を研究、キリスト教の洗礼をうけて帰朝。そして、神田三崎町でキングスレー館を開き、キリスト教の伝道と社会改良事業に着手、『職工義勇会』を設け、労働組合の創立に力を尽くした。これが日本における労働組合運動の始まりだった。
政治活動は国際的なスケールに及び、明治三十七年アムステルダムにおける万国社会党第六回大会、国内では四十四年市電大ストライキを指導して投獄され、大正二年に渡米、在米日本人労働者のあいだで活動する。計四度渡米するが、最後の渡米後の大正十年にはソ連に入り、国際共産主義運動の指導に専念し、モスクワで死去した。
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