
大正・昭和の思想界では、一方の旗頭だった。そんな彼が、ファーブルの『昆虫記』を日本で最初に翻訳していた人物である。行動家の面と学究的な面の両方を持ちあわせていたのである。幼稚園の頃から腕白で、叱った先生に唾をひっかけるほどの気性の激しい子供だったという。
陸軍幼年学校退学、外語学校仏文科を卒業、外交官になろうとして失敗するが、頭脳が秀でていたことは確かである。労働運動に参加して初入獄。それ以来思想傾向が変わった。六年間の獄中生活で六カ国語をマスターし、出獄後は思想家として、若者の支持を得た。一方では女性関係のスキャンダルも激しかった。
「人生とは、予め定められた、出来上がった一冊の本ではない。人生は白紙の本である。各人がそこへ書いてゆくもの。人生とは闘いである。」という無政府主義者らしい名句を残している。
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