
「人はパンのみにて生きるに非らず、されど又パンなくして人は生くるに非らず」は、
大正五年に『大阪朝日新聞』に掲載された随筆的な論文『貧乏物語』の単行本への序文である。
一貫した人道主義にもとづいて書かれたもので、当時、朝日新聞の読者を魅了した河上博士の最上の著作である。
京都大学に河上肇ありといわれ、押しも押されぬマルクス経済学の第一人者となっていた。
しかし、人生は絶頂があると、あとは没落がある。後半の人生は波瀾に満ちていた。
論敵・福本和夫が登場し、論戦に破れ、刑務所に収容され、暗く、失意の日々のうちに晩年を迎えた。
彼は生まれながらの不幸を背負ってこの世を生き抜いた。母が彼を宿して二・三カ月で離縁され、
後に本人だけが父の許に帰ったが、継母からいじめられて育った。
このことが、博士が不屈の学究生活に入った原因となったのかもしれない。
そして、長く暗い第二次世界大戦が終わりを告げた翌年、これからデモクラシーと自由が得られるという昭和二十一年、惜しまれてこの世を去った。
戒名 |
- |
玉垣 |
無 |
職業 |
明治・大正・昭和期の経済学者・社会思想家 |
境石 |
80cm |
没年齢 |
68歳 |
竿石 |
80cm |
所在地 |
京都市左京区・法然院 |
石質 |
自然石系 |
墓の方位 |
西 |
墓のスタイル |
奇型 |
正面入り口の方位 |
南 |
台座 |
1段・高さ36cm |
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1987年現在の資料に基づいております。