
日本に原子物理の世界を広めたのは仁科芳雄である。東大を出ると理科学研究所に入り、大正十年から七年間ヨーロッパに留学、イギリスのケンブリッジ大学、ドイツのゲッチング大学、デンマークのコペンハーゲン大学理論物理研究所にと、新しい理論を学んで帰国した彼は、日本の青年物理学者たちに多大な影響を与えている。その中の一人、後にノーベル賞に輝いた湯川秀樹博士は、自著『旅人』でつぎのように述べている。「仁科先生の講義は、単なる量子力学の解説ではなかった。先生は、ボーア博士を中心とする、当時、最も優秀な理論物理学者の一団の全体にただよっていたコペンハーゲン精神を、私たちに伝える媒体であった」と。
原子物理学の偉大な研究組織者だったとの評価は高く、後年この研究所にいた朝永振一郎博士は彼の許で研究し、ノーベル物理学賞を受賞した。
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