
写楽がどういう人物であったかについては諸説があり、生没年も不詳である。一説には藩のお抱え能楽師斎藤十郎兵衛であるという。寛政六年から翌年一月までの間に猛スピードで作品を発表しているが、まるで嵐の如くやって来て、嵐の如く消えてしまった謎の浮世絵師である。
当時としては問題にされた画家ではないが、今日、写楽の評価は国内外で高い。近世浮世絵派の異彩であり、肖像画家としては世界的名声を与えられている。彼の大判大首絵の数々は、ヨーロッパの画壇に、そして逆輸入されて、日本の画家にその作法が伝わっている。
写楽の作品の方の研究は進んでいるが、彼の生没はいぜんとして霧の中である。
徳島市にある彼の墓も誰が建立したものなのか、はっきりしない。
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墓地所在地は、変更になっている場合があります。
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