
現代日本の仏教界の勢力分布図を描けば、信者の数は日蓮宗は第一だろう。しかも同じ宗派でありながら、派閥は実に五十四派になるという。日蓮宗の魅力の一つに、彼が漁民の子として生まれたことがあげられる。他の宗派の開祖は、上流階級の出であったことは見逃せないし、日蓮はいわば庶民性のある宗派として出発している。
開祖日蓮、彼は承久四年(1222)、安房国片海(千葉県天津小湊町)に生まれた。幼少の頃より向学心が強く、十二歳にして天台宗清澄寺に登り、道善坊に師事し、薬王丸と名付けられた。虚空蔵菩薩に日本第一の知者となるよう立願し、学問と思索を続けた。十六歳の時に出家して是聖房蓮長となり遊学に出た。諸国を歴訪し、真実の仏法は“法華経”であると悟ったという。三十二歳の時に清澄寺にもどり、開教をしようとしたが受け入れられず、日蓮と改名、捨て身が自己の信念と、鎌倉に現れ、辻説法を始めだした。
世の人を驚かし、当時の仏教界にメスを入れた日蓮だが、それからが受難の連続だった。文応元年(1260)七月の松葉谷の焼討、弘長元年(1261)五月伊豆配流、文永元年(1264)十一月東条松原の刃難、同八年(1271)九月の竜口の法難から佐渡配流など。しかし、日蓮は不屈の精神と、持ち前の気魄で、徐々に信徒を増やしていった。晩年は山深い見延山に居を構え、東京池上にて入滅された。
![]() |
|
墓地所在地は、変更になっている場合があります。
トップページへ戻る |