
北斎ぐらい奇行の多い画家はいない。一例が、生涯に引越しをしたのが九十三回、ときには一日のうちに三回も転居したという。
小さい頃から頭がよく、手先の器用な子で、十四歳ぐらいから版木彫りの徒弟となり、絵や文章に親しむきっかけから絵描きへの道へと進んだのだろう。もっとも父は鏡磨ぎ師であり、職人芸から芸術家ヘの道をいくという要素はもっていた。名が出るまでは貧乏神にとりつかれていた北斎だったが、彼の研究はとどまるところを知らなかった。琳派の画風、土佐絵の手法、明画から西洋油絵の骨法を吸収し、画技は他の画家群を抜きんでていた。その名がオランダのカピタン(長崎にいたオランダ商館長)にまで伝わり、墓に刻まれた文字は“画狂老人卍墓”とある。
日本に北斎ありとヨーロッパに伝わり、ゴッホが北斎の絵を見て仰天したということが伝わっている。
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