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大倉喜八郎タイトル

大倉喜八郎の墓

 革命は多くの英雄を産み出すが、同時にその英雄を支えながら財をなす大実業家をも育てる。 ホテルオークラに象徴される大倉財閥をつくりあげた大倉喜八郎も、明治維新という日本史上最大規模の革命が産み落とした事業家の一人だ。
 天保八年に新潟県北蒲原郡新発田の豪商の息子として生まれた喜八郎は、十八歳で江戸に上った。 二十一歳のときに乾物屋を開業。次いで、幕末の不穏な空気に満ちた時代に、タイミングよく鉄砲屋『大倉屋』を開く。 戊辰戦争のときに、幕軍ばかりか官軍側にも鉄砲を売り、幕軍の敗色が濃厚とみるや官軍を全面的に支援するという離れ業をやってのけた。 維新後はそのまま軍の御用商人を続け、巨億の財を成した。さらに日清・日露戦争でも多大の利益を得て、大倉財閥の礎を築いたのである。
 庶民からは“死の商人”と忌み嫌われたが、公共事業や教育事業には惜しみなく私財を投じるという義侠心の強い一面もあわせ持っていた。
 墓は、家康の墓を真似たといわれていて、威風堂々、大倉財閥の元祖にふさわしい。

戒名 大成院殿礼本超邁鶴翁大居士 玉垣 55cm
職業 明治・大正期の実業家 境石 65cm
没年齢 93歳 竿石 約300cm
所在地 東京都文京区・護国寺 石質 灰色石系
墓の方位 墓のスタイル 奇型
正面入り口の方位 台座 2段・高さ69cm
1987年現在の資料に基づいております。
墓地所在地は、変更になっている場合があります。

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