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天王寺屋五兵衛(大眉光重)と天王寺屋一族

1623年(元和9年)摂津国住吉郡遠里小野村(現住吉区)で生を受ける。本姓は大眉、名は光重。
遠祖は聖徳太子が四天王寺創建の際に、用材の調達を命ぜられ、その際の功績により「天王寺屋」の屋号を賜った。
吉右衛門は大眉家の元祖と呼ばれており、大坂に進出の際今橋に土木工事の店を構え、後に両替商に転じた。
23歳で死去した父の跡を引き継ぎ、1662年(寛文2年)に大坂町奉行に幕府御用を務める。

天王寺屋五兵衛(大眉光重)と天王寺屋一族

1628年(寛永5年)に両替店を開き、1670年(寛文10年)に大坂町奉行により大坂両替屋仲間を統轄する十人両替の一人に任命され、幕府の経済政策に協力する義務を負い、そして両替屋仲間の監督機関の役割をはたす。
相場立会いについて協定する権利を有していた。
初めて手形の制度を創出して信用機構の確立に貢献し、「天下の台所」と呼ばれた大坂金融市場の中心的な存在に成長した。
しかし明治維新に経営近代化に対応出来ず歴史の舞台から姿を消した。
現在天王寺屋は明治中期に断絶している。
大眉家の菩提寺は久本寺にある。

『初期の大坂の十人両替』
天王寺屋五兵衛・新屋九右衛門・鍵屋六兵衛・坂本屋善右衛門・天王寺屋作兵衛・新屋杢右衛門・泉屋兵兵衛・誉田屋孫右衛門・鴻池善右衛門・助松屋利兵衛

戒名 光重:清光院榮山定休日耀居士 玉垣  
職業 商人 境石  
没年齢 光重:享年72歳 竿石  
所在地 大阪市中央区・久本寺 石質 御影石
墓の方位 西 墓のスタイル 和型 笠付
正面入り口の方位   台座 蓮華台

墓地所在地は、変更になっている場合があります。

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