
初代 鴻池善右衛門は、江戸時代初期の当主。名は正成。
鴻池新六直文(幸元)の八男。1619年に大坂へ移り、1633年に分家を立てる。屋敷のある今橋から「今橋鴻池」とも呼ばれる。
1625年には大坂と江戸の間の海運業をはじめ、諸大名の参勤交代や蔵物の輸送業務を手がけた。
1656年には酒造を廃業して両替商をはじめる。大名貸、町人貸、問屋融通など事業を拡大した。
1661年、顕孝庵(現・大阪市中央区中寺2丁目)を再興して菩提寺とした。
江戸時代の代表的豪商の一つである大坂の両替商・鴻池家(今橋鴻池)で代々受け継がれる名前である。
家伝によれば祖は山中幸盛(鹿介)であるという。

摂津伊丹の酒造業者鴻池新六の子、善右衛門正成が大坂で一家を立てたのを初代とする。
はじめ酒造業であったが、1656年に両替商に転じて事業を拡大、同族とともに鴻池財閥を形成した。
歴代当主からは、茶道の愛好者・庇護者、茶器の収集家を輩出した。
上方落語の「鴻池の犬」や「はてなの茶碗」にもその名が登場するなど、上方における富豪の代表格として知られる。
明治維新後は男爵に叙せられて華族に列した。
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