

1908年早稲田大学法科卒業後、鉄道院中部鉄道管理局に就職、新橋駅駅員となる。
東武鉄道先代社長に佐野鉄道の経営実務を任され、半年間でその手腕を認めらる。
その後、高野登山鉄道の支配人に抜擢される。
1914年高野登山鉄道を辞職し、
欧米の鉄道・港湾調査の視察で訪れたロンドンで地下鉄が発達しているのを目の当たりにし、
これからは東京にも地下鉄が必要だと考えるようになる。
1920年に東京地下鉄道株式会社を設立し、1925年に浅草〜上野の地下鉄工事を始める。
1927年12月30日に浅草駅から上野駅まで開業させた。
2005年現在の東京地下鉄銀座線の同区間である。
銀座駅の日比谷線中二階メトロプロムナードの中央部に早川徳次の胸像がある。
(参考文献:ウィキペディア(Wikipedia))
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墓地所在地は、変更になっている場合があります。
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