石坂泰三

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石坂泰三の墓

1886年東京下谷上野に、埼玉県出身の質業石坂義雄の三男として生まれる。
1911年東京帝国大学法科独逸法律科を卒業後、逓信省に入省、郵便貯金局書記に任官する。
岡野敬次郎法制局長官の紹介で第一生命保険相互会社の矢野恒太社長に紹介され、 1915年、第一生命に矢野社長の秘書ととして入社。
その後、同社支配人、専務をへて、1938年第一生命取締役社長に就任から1946年の辞任まで、 第一生命を中堅からトップクラスの生命保険会社に成長させた。
終戦直後に62歳にして労働争議で明け暮れる倒産寸前の東京芝浦電気(現東芝)入りして、 見事に再建を果たした。
70歳から12年間は第2代経済団体連合会(経団連)会長を務めている。
その後大阪万博の会長を務めるなど、戦後の日本経済の歩みを象徴する人生を歩んできた。
経団連会長を「財界総理」というが、それは石坂をもって嚆矢とする。

(参考文献:コンサイス 日本人名事典・ウィキペディア(Wikipedia))

戒名 - 玉垣 -
職業 大正・昭和期の財界人 境石 -
没年齢 - 竿石 -
所在地 東京都府中市・多磨霊園 石質 ピンク
墓の方位 - 墓のスタイル -
正面入り口の方位 西西北 台座 -

墓地所在地は、変更になっている場合があります。

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