愛媛県宇和郡喜佐方村(現宇和島市吉田町)出身。
汽船喜佐方丸を購入し海運業を始め、さらに石炭業界や木材業界にも進出した。
海軍の仕事を引き受け、日露戦争期に一大海運業者にのし上がった。
以後も陸海軍関係の仕事を中心に船を増やし、
1937年には山下汽船社長のほか渡川水力電気・阪神築港などの社長も兼ね、
政界にも通じ、第二次世界大戦中には、内閣の顧問になった。
また陸海空軍航空設備として100万円の献金をしたり、
出身の愛媛県に3つの学校を設立するなど公共事業への寄付も積極的に行った。
(参考文献:コンサイス 日本人名事典)
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