

20歳の時に甲斐から上京し、漢学者の馬杉雲外の門下に入った。 その後郷里に戻り郡会議員・県会議員をつとめ、共愛社、山梨同志会などを作った。1904年衆院議員に当選。 帝国石油を設立して社長に就任したほか、05年東武鉄道、06年館林製粉、日清製粉、東上鉄道などの社長を歴任したが、 29年にいたり徳富蘇峰の「国民新聞」の社長を引き受けた。 東京商工会議所顧問、貴族院議員などをつとめた他に、武蔵高校、根津化学研究所の創立など学術・文化事業の方面でも名を知られた。
古美術愛好家としても知られ、没後そのコレクションをもとに根津美術館(東京青山)が設立された。
*嘉一郎の長男である2代目根津嘉一郎(同墓)は、先代没後、事業を50年の長きに渡り引張った実業家である。
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