東京商業学校(一橋大)を1891年卒業後、家業の醤油醸造業に携わる。
1900年館林製粉を創立し、専務取締役に就任。 1907年館林製粉と日清製粉が合併し、新たに「日清製粉」を発足させ専務取締役に就任。
これを皮切りに1910年には宇都宮の大日本製粉株式会社を合併。一躍、国内第2位の製粉会社となった。
さらに上毛製粉、両毛製粉、讃岐製粉、九州製粉などを次々に合併。工場も名古屋、水戸、岡山、神戸と積極的に新設を続けた。
昨今のIT系企業も驚くようなダイナミックな企業経営を、すでにこの時代に展開していた。
その根底には、主食たる小麦を安定供給するという強い思いであった。
その後も、業界に先駆けて先進の技術・ノウハウを導入、大型船が横付けできる「海工場」の建設でついに国内第1位の製粉会社へと躍進、
海外へも進出もはたした。
1924年同社取締役社長、36年同社取締役会長となった。
息子に数学者の健次郎、後継ぎの英三郎、孫に美智子皇后他いる。
戒名 |
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玉垣 |
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職業 |
実業家 |
境石 |
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没年齢 |
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竿石 |
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所在地 |
東京都府中市・多磨霊園 |
石質 |
白御影 |
墓の方位 |
西 |
墓のスタイル |
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正面入り口の方位 |
西 |
台座 |
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