1873年山梨県生まれる。
慶應義塾大学卒後、三井銀行に入り、その後箕面有馬電軌(のち京阪神急行電鉄=阪急電鉄)の設立に参加する。独創的な構想で社業を伸ばし、1918年社長に就任。
私鉄経営に新生面を拓き、ユニークなパンフレット広告や月賦販売を行い乗客を増やすため宝塚歌劇団・阪急百貨店・宝塚温泉・動物園・東宝映画などを創設した。
また、東京電灯会社会長、目蒲電鉄・東横電鉄の取締役・日本軽金属社長・東宝社長などを歴任し、「今様太閤」と呼ばれた。
第二次近衛内閣で、商工相に就任。
駅ビルから建売住宅、電車の中吊り広告まで現代では"当たり前"とされているあらゆるシステムを考案し、全国高校野球大会まで企画したアイデアマンであった。
1957(大正14)年に世を去るまで、政財界でも八面六臂の活躍を見せた。
墓地は比較的暗く、崖下にある。大物だったわりには地味な印象を受ける墓である。
戒名 |
大仙院殿真覚逸翁大居士 |
玉垣 |
ー |
職業 |
大正・昭和期の実業家・政治家 |
境石 |
86cm |
没年齢 |
84歳 |
竿石 |
83cm |
所在地 |
大阪府池田市・大広寺 |
石質 |
花崗岩(白系) |
墓の方位 |
東南 |
墓のスタイル |
普通 |
正面入り口の方位 |
東 |
台座 |
ー |
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1987年現在の資料に基づいております。