
1882(明治15)年長野県に生まれる。
東京帝大卒業後、農商務省に入省。鉄道院監督局総務課長を退官後、武蔵野電気鉄道常務に就任。東京横浜電鉄と改称、専務となる。
目黒蒲田電鉄を設立、専務に就任。その後両社の社長となり、二つを合併、東京横浜電鉄とする。その後、東横電鉄に小田急・京浜の両電鉄を統合して東京急行電鉄を創設した。
1944年東条内閣の改造で運輸通信相として入閣するが、第二次世界大戦後公職追放される。その解除後、実業界に復帰し、多角的な事業経営を展開した。
また、図書館やプラネタリウムを設立するなど文化事業にも力を注いだ。
1959(昭和34)年動脈硬化と脳血栓のため死亡。
生前の功績に対し、正三位勲一等に叙せられ瑞玉章を授けられる。
墓はすばらしい大きさのものである。ただ祀り方がまちまちで、後継者には子孫の男子に問題が起こってくるかもしれない。
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