
1837(天保8)年、鹿児島の商家の長男として生まれる。
19才で家督を相続、藩命によって金・米を扱った。
また、独学で英語など学問を修得し、長崎に出て貿易商の修行も積んだ。
その後、大阪で海運業を始めるが、これは失敗に終わった。
1862年に薩摩藩士が設立した琉球の砂糖を扱う会社に入り、1873年には大蔵省から委託されて琉球航路や琉球糖の調査を行った。
翌年、日本国郵便蒸汽船会社の副頭取に就任し、琉球航路を開設、砂糖等の沖縄の物産を独占的に扱い、蓄財した。
その資本を元に1878年に造船業に転じて、東京築地で川崎築地造船所を、1887年に神戸に川崎造船所を設立し、今の川崎重工の基礎を築きあげた。
また、川崎正蔵の遺志により、1917年、神戸に私立川崎商船学校が設立された。
こちらは、国立神戸商船大学を経て、国立神戸大学海事科学部に発展していき現在に至る。
墓の方向がもう少し良ければ、また、五輪塔がもう少し小さく作られていたら、川崎家は安泰であったかもしれない。
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