1838(天保9)年富山県富山市出身。20歳の時、奉公人として上京。
安田屋と称した両替商から出発し、安田銀行(現在のみずほコーポレート銀行)を設立、損保会社(現在の損害保険ジャパン)・生保会社(現在の明治安田生命保険)を次々と設立し、金融財閥としての基礎を築く。
自分の天職を金融業と定め、私的に事業を営むことを自ら戒めたが、同郷だった浅野総一郎の事業を支援するなど事業の育成を惜しむことは無かった(現在の鶴見線である鶴見臨港鉄道の安善駅は安田善次郎の名前に因む)。
また弾丸鉄道計画や、帝国ホテルの設立発起人、日銀の監事など、この時代の国家運営にも深く関わった。
晩年には日比谷公会堂・東大安田講堂を寄付した。
1921(大正10)年、大磯の別邸で右翼の朝日平吾に刺殺され、84才の生涯を閉じた。
墓は天下の大富豪らしく白石系の堂々たる姿で、他を圧倒している。
戒名 |
正徳院釈善貞桂山大居士 |
玉垣 |
92cm |
職業 |
明治・大正時代の実業家 |
境石 |
57cm |
没年齢 |
84歳 |
竿石 |
背丈より高い・138cm |
所在地 |
ー |
石質 |
花崗岩(白系) |
墓の方位 |
南 |
墓のスタイル |
巨大な石塔 |
正面入り口の方位 |
南 |
台座 |
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1987年現在の資料に基づいております。