藩祖謙信・景勝で有名な上杉米沢藩(現在の山形県)に生まれる。
明治十九(1886)年十二月慶應義塾別科に入学、同二十一年七月に卒業後、ハーバード大学に留学。
明治二十八年に帰国し、時事新報社に入ったが3週間で退社する。
同年三井銀行に入社し、中上川彦次郎専務理事(福沢諭吉の甥)の目に止まり足利支店長に就任した。
その後、ヨーロッパの銀行業の視察などを行い営業部長から常務取締役に就任、昭和八年に三井合名会社(三井財閥の中核をなす持株会社)筆頭理事に転じるまでの二十五年間、三井銀行を実質的に主宰したと評される。
昭和十一年に退任し、その後は政界への進出が要請され日本銀行総裁・蔵相・商工相・内閣参議院委員・中央物価委員長・枢密顧問官等をつとめ、戦前財界人のトップリーダーであった。
敗戦後はA級戦犯容疑者となり、また公職追放の指定を受け第一線から退いたが、なお財界に一定の影響力を保っていた。
墓は白御影で俗名夫婦墓といわれる。中央に本人墓、右に池田家の墓、左に娘の墓がある。
戒名 |
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玉垣 |
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職業 |
大正・昭和期の政治家・財界人 |
境石 |
32cm |
没年齢 |
84歳 |
竿石 |
70cm |
所在地 |
東京都文京区・護国寺 |
石質 |
花崗岩白 |
墓の方位 |
北東 |
墓のスタイル |
普通 |
正面入り口の方位 |
北東 |
台座 |
3段・高さ81cm |
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1987年現在の資料に基づいております。