

北前船の北海交易で、一介の炊夫から同郷の銭屋五兵衛を凌ぐ豪商となった人物である。
幼時に母そして父と相次いで亡くし、“ナンナのおばば”に育てられる。腕白で年上の子とケンカした。
十三歳ぐらいの時に、この地方で一、二の金持ちの酒屋に米搗きとして雇われる。
昔から出稼ぎの多い地で船乗りになる若者が多かったせいか、この頃海に出るあこがれを持ち、十五歳で大阪の“線喜”の水夫となる。
口数が少なく、思ったらテコでも動かない気質だったらしい。
船頭に出世したのも束の間、部下に火をつけられるありさまで、いったん水夫に落ち再度船頭に戻る。
四十四歳になってから一本立ちの主人となった。
明治初期の大阪財閥屈指の男の墓は、竿石の右に先妻、左に妾の名前を刻む。
本妻後妻をうまくコントロールした生き方が窺える。
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