
日本中騒乱に明け暮れていた明治維新前の日本に、二十歳のスコットランド人グラバーは、戦乱の臭いをかぎつけ、やってきた。死の商人第一号として、日本を舞台におおもうけをたくらんだ夢多き青年であった。彼のバックグラウンドは素晴らしいものがあり、維新の主流派、倒幕運動家たちと親しく、伊藤博文、井上馨、五代友厚、岩崎彌太郎などのお陰で見る見る巨万の富をえた。今日長崎を訪れる観光客のほとんどが、彼が暮らした家、グラバー亭を見ているだろう。
その彼も、明治政府の土台ができると商売に行き詰まっていった。しかし、維新に貢献したグラバーを伊藤博文らが放っておくわけはなく、東京に招かれ、麻布に邸宅を用意され、華族待遇として余生をおくる身の上となった。
墓は和洋折衷で、洋墓と日本式、どちらが主流なのだろうと考えさせられる。
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墓地所在地は、変更になっている場合があります。
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