

井原西鶴の影響を受け、また、仏教関係の書を耽読していた。
1890年『露団々』を起草し、寒月を介して「都の花」に発表された。これが山田美妙の激賞を受け、さらに『風流佛』(1889年)『五重塔』(1892年)などを発表し、作家としての地位を確立する。
尾崎紅葉と共に「紅露時代」と呼ばれる時代を築き、擬古典主義の代表的作家で、また漢文学・日本古典や諸宗教にも通じ、多くの随筆や史伝のほか、『芭蕉七部集評釈』などの古典研究などを残した。昭和12年、第一回文化勲章を受章。その他代表作は『天うつ浪』(1906年)『連環記』(1930年)『運命』(1919年)などがある。
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