

1902年佐賀県佐賀市に生まれる。
早大英文科在学中吉江喬松に師事して詩作に励み、その推薦で「早稲田文学」に詩を発表。
草野心平の「銅羅」に参加。「文芸戦線」にも詩を発表した。
1928年処女戯曲「首を切るのは誰だ」を発表、全日本無産者芸術連盟(ナップ)に参加、
「疵だらけのお秋」のほか小説・詩を書き、1931年処女戯曲集「炭塵」を出版。
プロレタリア劇作家として出発したが、疑問を覚えて左翼陣営を離脱していく。
1934年「斬られの仙太」を発表。1935年PCL文芸部(東宝の全身)に入りシナリオを執筆。
以後敗戦まで「浮標」「をさの音」「獅子」「鷲の王峠」「峯の雪」などを発表。
戦後、「崖」「猿の図」「廃墟」「冒した者」「その人を知らず」「炎の人」などがある。
太平洋戦争後、近代の既成文学全般への批判に基づき、
同傾向の作風を示した一群の作家たちを総称する『無頼派(ぶらいは)』の一人ともいわれる。
(参考文献:コンサイス 日本人名事典・ウィキペディア(Wikipedia))
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