

本名・義臣。1889(明治22)年長崎県壱岐郡に生まれる。
暁星中学より早稲田大学に学び、1911(明治44)年同学英文科卒業。
1909(明治42)年人見東明、加藤介春らとともに自由詩社をおこし、口語自由詩を唱道する。機関誌「自然と印象」を発刊。
マラルメやランボー、ヴェルハーレンなど世紀末のフランス詩人に深い関心を寄せた。象徴主義の影響を受けた倦怠的耽美的な詩を発表し、
その口語散文詩は先駆的作品として評価される。
晩年は象徴主義から離れ、伝統主義的世界に移っていった。「早稲田文学」等にも作品を発表。
他にもフランス象徴派詩人の研究や翻訳を書き期待されたが、1917(大正6)年、別荘があった千葉県犬吠崎君ヶ浜で遊泳中、詩友の今井白楊を救おうとして共に溺死した。
享年僅か27歳だった。
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