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向田邦子タイトル

向田邦子の墓

 1929(昭和4)年11月28日東京都世田谷区に生まれる。
保険会社に勤める父の転勤により日本各地を転々とする。特に10歳から2年余り一家で移り住んだ鹿児島をのちに当時の生活を振り返って「第二の故郷」と呼んだほど深く愛した。 実践女子専門学校(現・実践女子大)国語科卒。
1952(昭和27)年に雄鶏社に入社し、雑誌『映画ストーリー』の編集に従事するかたわら市川三郎のもとで脚本を学ぶ。 1960(昭和35)年に同社を退社。
その後、脚本家となり20年間で1000本以上の作品を手掛け、昭和30年代終わりから50年代にかけてテレビドラマの高視聴率作家の座を維持した。
ラジオエッセイで「森繁の重役読本」、「向田ドラマ」の代表作として、「七人の孫」「だいこんの花」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」「あ・うん」「隣りの女」など。
1975(昭和50)年46歳のときに乳癌で手術を受ける。それをきっかけに随筆やエッセイを書き始め、故・山本夏彦は週刊文春の彼女の連載を読んで「向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である」と絶賛した。 小説新潮に連載された短篇小説集 『思い出トランプ』に収められた「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で1980(昭和55)年第83回直木賞を受賞。
鋭敏で独特の感性と深い人間洞察、鋭い斬れ味の文章や巧みな台詞を端正な日本語でつづった随筆や小説、シナリオ集は今なお人々に愛されている。 また、これらの著述活動のかたわら、東京都港区赤坂で小料理屋を経営し、人気を博した。
1981(昭和56)年、エッセイ集の取材旅行中の台湾で遠東航空機墜落事故に遇い、死亡した。さらなる活躍を期待されたその矢先での急逝だった。
1983(昭和58)年、功績を記念して優れた脚本に対して与えられる「向田邦子賞」が創設された。

戒名 - 玉垣 -
職業 脚本家・小説家 境石 -
没年齢 52歳 竿石 -
所在地 東京都府中市・多磨霊園 石質 白御影
墓の方位 墓のスタイル -
正面入り口の方位 台座 -

墓地所在地は、変更になっている場合があります。

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