

1904年東京生まれ。
東大在学中「朱門」同人となり、1925(大正14)年劇団心座を結成、多くの戯曲を書き才能を示した。
その後明治大で教鞭をとるかたわら、小説も書き始めた。
雑誌「行動」に加わり行動主義、能動精神運動を進め、昭和9年『ダイヴィング』を発表、1938年『大石』で文壇に認められた。
戦後も旺盛な創作活動を示し、また日本文芸家協会理事として活躍。『雪夫人絵図』『花の生涯』等が代表作。
相撲愛好家で1969年以来横綱審議委員会委員長をつとめた。1975年文化功労者 となる。
1976年心不全のため日本医科大学付属病院で亡くなった。
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