
明治34(1905)年生まれ。「若き駅長の妻」でデビューした女流作家。
振幅の多い愛の遍歴をつづけたが、それだけ孤独な思いも深かったに相違ない。
高見順はそれを「たしかに、いやな女に違いなかったが、私たちはそこに、女の─人間の哀しさを感じないではいられない。
私たち誰もが持っている人間の哀しさ‥‥」と言った。
それを人一倍持って、そして、死にたくない死にたくないと言いながら、昭和30(1955)年6月のその日東大病院小石川分院で、肺ガンのため死んで行った。
宇野千代、平林たい子らの肝いりで建てられた墓は、東慶寺の田村俊子の墓の前にある。
墓石・台石・白菊が一輪づつ供えられた花生台などが全て自然石で組み合わされており、人生ぎりぎりまで生き抜いた姿をこの墓にみることができる。
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墓地所在地は、変更になっている場合があります。
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