
武蔵野の玉川上水のほとりに独歩の詩碑がある。碑に刻まれた「山林に自由存す」の言葉どおり、彼は生涯自然の中に自由を求めた。
「自由と恋愛はわが熱情なりき」と語った独歩は、新聞記者時代、障害を乗り越えて結婚した信子にわずか五ヶ月で捨てられてしまう。「米五合に甘藷」が一日の糧、朝は五時起床、賛美歌を歌い祈る、といった質素で禁欲的な生活が良家の子女であった信子には堪え難いものとなったからである。しかし、独歩は「境遇に負けぬようにせねばならぬ」と、ひたすら“夢想”を追い求めた。
二度目の結婚後に書いた三冊目の短編集『運命』でようやく小説家として評価されるが、まもなく彼の体は肺病に侵されていった。志半ばにして死の床についた彼は「死は彼岸に達する努力」と叫び、号泣した。現実と闘い続けた彼は、死をもってやっと「自然に帰る願い」を果たせたのかもしれない。
墓はペンネームの国木田独歩で祀られている。彼らしく清楚な墓だ。
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墓地所在地は、変更になっている場合があります。
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