
『歌はぬ人』など、多数の戯曲や小説を発表した倉田百三。代表作は二十六歳の時に書いた『出家とその弟子』である。浄土真宗の世界に材をとり、親鸞を描いた不朽の名作だ。それは彼の闘病生活と無縁ではない。姉の死、そして在学中だった一高を落第と悪いことの重なった年に、彼は結核で病の床に臥した。以後、四十二歳までの二十年間、療養生活が続くのである。彼はもがき、苦しみ、断食や参禅までする。そうした中で芸術作品を生んだのである。不思議なことに『愛と認識の出発』なども含め、傑作は病気の時に書かれている。病苦をバネにした作家なのであろう。
墓は一風変わっている。母の墓を墓所の入口のところ、一段下に祀り、自分は中央の累代墓に入っている。
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