
文芸春秋の創始者であり、オーナー。戦後追放になったことがあったが、その時、「ぼくのような自由主義者を追放するなんて、アメリカの恥辱じゃないか」と言い放ったという。
もともとは作家であり、一高で同級だった芥川龍之介らと、一九一六年に第四次『新思潮』を創刊し、戯曲を発表していた。その後小説を書くようになり、『恩讐の彼方に』などで一躍流行作家となる。そして、「どうせ原稿料の余り金だから失敗して元々」とひとつの賭けのつもりで『文芸春秋』を創刊。川端康成、今東光、芥川龍之介らをはじめとする新進気鋭の作家たちの協力を得たことで、他の雑誌社とは趣を異にしていた。出版事業が忙しくなるにつれて、創作からは遠ざかっていくものの、新しい才能の発掘に力を注ぎ、後進の面倒をよくみた。
好きなことをして死ねる人は、幸福である。彼はそんな男だ。終戦後は文芸春秋も解散、大映社長も退き、悉く公職を去ったが、気に病んだりはしなかったという。
墓は洋式。白い墓石で、明るい生前の本人の姿を表現しているかの如く見える。
戒名 |
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玉垣 |
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職業 |
大正・昭和期の小説家・劇作家 |
境石 |
初段33cm・2段32cm |
没年齢 |
60歳 |
竿石 |
横長79cm |
所在地 |
東京都府中市・多磨霊園 |
石質 |
花崗岩(白系) |
墓の方位 |
南 |
墓のスタイル |
横長 |
正面入り口の方位 |
西南 |
台座 |
高さ36cm |
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1987年現在の資料に基づいております。