「やると思えば、やらねばならぬ。それが男の生きる道。」昭和初期から歌われつづけている『人生劇場』の歌である。
尾崎士郎は、その小説の作者であり、この一作が都新聞に連載されるや洛陽の紙価を高め、彼の名作の一つに数えられるようになった。
作家・故富田常雄は「尾崎士郎は文壇ではアウトサイダー的な存在だった。
また、いうなればサムライである。
彼のような生き方をしてきた作家は多くないと思う。」と述べている。
早大政経学部を中退して、大正十二年に長篇『逃避行』で文壇にデビュー。昭和八年から連載の『人生劇場』<青春編>から<遠征編>と続いた一大長篇で、作家としての不動の地位を獲得したのであった。
戦後の一時期は病気がちだったが、後輩の面倒見がよく、若い作家志望の青年たちが、尾崎宅にたむろしたものだった。
墓は、変わった風流人の墓とでもいえよう。黒石の自然石墓で、墓碑名はペンネームである。
戒名 |
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玉垣 |
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職業 |
昭和期の小説家 |
境石 |
22cm |
没年齢 |
66歳 |
竿石 |
40cm |
所在地 |
神奈川県川崎市・春秋苑墓地 |
石質 |
自然石と黒御影石、白御影石 |
墓の方位 |
東 |
墓のスタイル |
黒い奇型 |
正面入り口の方位 |
東 |
台座 |
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1987年現在の資料に基づいております。