
「自分の小説は、米一升買いをするような人たちの心の糧になるような小説だ」と、生前林芙美子は述べていた。そして、また絶筆が『めし』だったのだ。林芙美子は庶民派の作家である。
彼女の人生は貧しさと苦しみの連続であった。行商人の娘と生まれ、男の子のように育てられ、小学校は四年間に七回も転校せねばならなかった。それでも女学校まで学業を終え、上京すると、風呂屋の下足番、株屋事務員、女給、行商、露店商など人生の辛酸をなめながら、文学の志を曲げなかった。
デビュー作の『放浪記』は、彼女の赤裸々な人生体験そのものであり、逆境に強く生きた女の物語である。林芙美子の文学には寂寞がただよっている。死ぬ一年前、文芸評論家巌谷大四と酒宴の折、芙美子はこう語ったという。「あああ、こうしていると、人生も楽しいけどねえ…。でもつまんないね世の中は。何のために生きているのかね。みんな。…ああ、織田作がうらやましいな。横光さんも太宰治も、うらやましいことやったなあ…」
林芙美子の葬儀委員長は川端康成であった。
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