
堀辰雄の生涯は、死の陰にふちどられている。二歳で実母と掘家を出た辰雄は、母の再婚先で生活することになるが、実父は六歳の時、義母も十歳の時にこの世を去る。婚約者の綾子も死去。その後多恵と結ばれるが、その年に義父が没する。
こうした負の体験の連続は、いやでも堀の人生観念や文学観に深い爪跡を残さずにはおかないだろう。
さらに、生来の消極的な性格に加えて、十九歳で肺を患って以来、療養生活がそのまま日常生活に等しかった堀である。荒々しい現実から身をかわし、一途に人間の真の美しさと生命の純粋性を追い求めるのも、むべなるかなである。だからこそ、『風立ちぬ』や『奈穂子』が、若い人たちの心の琴線を激しくはじいたのだ。
とはいえ、堀は幸福な人だったのではないか。なぜなら、憧れの美しい自然と最愛の人に抱かれて瞑目できたのだから。
堀辰雄の文学と墓、これぐらいムードがぴったりする墓はないだろう。清楚な感じで、美しい墓石である。
戒名 |
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玉垣 |
54cm |
職業 |
昭和期の小説家 |
境石 |
40cm |
没年齢 |
49歳 |
竿石 |
縦58cm、横87cm |
所在地 |
東京都府中市・多磨霊園 |
石質 |
花崗岩(白系) |
墓の方位 |
西南 |
墓のスタイル |
3段・高さ75cm |
正面入り口の方位 |
西南 |
台座 |
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1987年現在の資料に基づいております。