
九条武子は美女で才女であったと伝えられている。
故・女流作家吉屋信子は『続・私の見た人』の中で次のように書いている。「『金鈴』と名づけられた歌集が大正八年・九年から当時のベストセラーとなって幾年も続いた。著者は九条武子。京都西本願寺前法主の次女、麗人の評判高く、のち九条良政男爵に嫁して、いま良人はロンドンに在住。もう孤閨十年を守って仏教界に美しき生仏さまのように活躍中とあって、その頃の新聞・雑誌によく掲げられる写真は正面向いても横を向いてもいつも鮮やかな高貴の相、立姿もまことにあでやかに典雅だった」
歌人の佐佐木信綱も「夫人は名門の出にして、才色双絶なりき。他日も万国婦人大会などあらむ時、日本婦人を代表してその席に列すべきを選ばむに、容姿端整にして理知にとめる夫人は、必ずやその一人たるべきを思う」と激賞している。
美しい人だったに違いない。歌に文に、戯曲まで書いたからには才女であったのだろう。墓石も自然石で、風流人をしのばせる。
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