
谷崎潤一郎の伝記を書いた野村尚吾氏はそのはじめに、「谷崎潤一郎という“大森林”に踏み込もうと・・・」と述べていた。
それぐらい作家としての怪物ぶりが、人間谷崎潤一郎だろう。
日本の作家で、ノーベル文学賞の第一号は彼に違いないと言われていただけに残念である。
彼が作家として認められるようになったのは26歳、永井荷風に激賞されてからである。
その作品は『刺青』『麒麟』などだが、それからの作家活動は他の作家たちの追従を許さぬ作品の数々を世に送った。
『痴人の愛』『春琴抄』『卍』『蓼食う虫』『盲目物語』『細雪』等々。
『細雪』では毎日出版文化賞、朝日文化賞に輝き、64歳で第8回文化勲章を志賀直哉らとともに授与された。
これら数々の名作に流れる谷崎潤一郎の作風は、女性崇拝の念が基調で、「男子は女子に支配され、
そのために身を滅ぼすところに、男性として最高の幸福がある」という主張が流れている。
このため一方では悪魔の文学とも言われたことがある。
さて、谷崎潤一郎の墓だが、二つ存在する。
東京の巣鴨にある慈眼寺の一角に“安楽寿院功誉文林徳潤居士”と刻まれた墓は、
仲の悪かった弟精二(早大文学部教授)の墓のそばにある。
もう一つは京都市左京区鹿ヶ谷・法然院にある、自然石に【寂】の人文字を刻む墓である。
三番目の妻で晩年までともに暮らした松子夫人の実家と同居墓である。
戒名 |
安楽寿院功誉文林徳潤居士 |
玉垣 |
63cm |
職業 |
明治・大正・昭和期の小説家 |
境石 |
- |
没年齢 |
80歳 |
竿石 |
細長い。86cm |
所在地 |
京都市左京区・法然院 |
石質 |
花崗岩(灰色系) |
墓の方位 |
南 |
墓のスタイル |
風流墓 |
正面入り口の方位 |
西 |
台座 |
1段・高さ 8cm |
|
1987年現在の資料に基づいております。