

天台宗門跡寺の一つである。最澄の建立した寺で、本尊は鎮将夜叉毘沙門天王、これも最澄の作といわれる。
最澄のあとは、法親王が御住院となった。
平治の乱・応仁の乱の兵火・信長の放火と再三の火事に苦しめられたが、現在は、枝垂れ桜や紅葉でも名高い寺である。
慶長十六年になって、後陽成天皇が僧・天海に命じて再建にとりかかり、高弟の公海が完成させた。
再建された毘沙門堂には、後西院天皇の第六皇子公弁法親王が入室し、以来法親王が代々入寺する寺となった。
祀られてあるのは、代々の門跡である。
天皇家の門跡墓、中には奇型の墓もちらばっているが、整然と襟を正した祀り方である。
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