

伝えられているところでは、流人・丹宗庄右衛門が八丈島と三宅島に流され、島人に酒づくりを伝授したということだ。
薩摩の丹宗庄右衛門が、唐物の一件(秘密の売買)が露見したため島送りの罪人となる。
島では米が乏しく食べるのが精一杯だったので、庄右衛門が救荒作物だったサツマ芋から酒をつくる方法を島の人に教えたらしい。
島の人は今でも島酒といい、島民には親しまれている酒でもある。
この島酒の碑は薩摩からの流人、丹宗庄右衛門秀房の碑である。ユーモラスな型で昭和四十二年に建立された。
墓というより碑である。碑の除幕式には庄右衛門の子孫・鹿児島阿久根市長・丹宗忠氏も招かれた。
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