足軽の子として生まれ、茶坊主として前田家へ出仕する。身分は低かったが、吉徳公に重用されて藩の財政立て直しに手腕を発揮した。そしてますます吉徳公の信任をうけ、前田家の財政を預かる身となり、家老格まで出世した。終生吉徳公のそばにあり、他の家老の議を経ずして藩政をさばくので、前田家の親族にうとまれ、吉徳公の死と共に、“加賀騒動”へと発展し、一気に失脚してしまう。歌舞伎の世界では、伝蔵は、主君の側室との密通や毒殺など、悪行の限りをつくす極悪人に描かれているが、最近の研究では“加賀騒動”は存在しなかったことが分かっているそうだ。家老連の妬みが、そんな事件を捏造したということらしい。
権力争いの犠牲になった伝蔵は、越中五箇山に流刑の身となり、自害した。
すごい形相の墓である。荒々しく欠けた自然石の墓は、もがき苦しんだ伝蔵を表しているようだ。
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