
戦国大名の子として生まれる。曾祖父である小六正勝は、城持ちとはならず、その子家政にゆずる。家政の子である父・至鎮は、関ヶ原の戦いで戦功をあげ、阿波にとどまらず、淡路一国をも含めた計二十五万七千石を領した。徳川家に仕える誓いのために、三歳の忠英をつれて家康の前にでたという、その父を病で失った忠英は、祖父・家政の後見で十歳で藩主となる。
蜂須賀家は、その後、秀れた治世者はでず、全く血は絶えてしまい、養子がつづく。
墓所は、代々勝手気ままに墓が建立されていて、五輪塔に角石塔に卵塔に、中でも一番の巨石がこの人である。
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