
兵庫県八部郡烏原村(神戸市兵庫区)出身。
1914年早稲田大学英文科を中退、紡績会社に就職する。
紡績工場で現場監督の地位についたとき、工場長と仕事上の意見の相違で対立し退職することとなった。
その後、谷口は大正6年に大本に入信、文学の才能が認められ教団機関紙の編集主幹となった。
しかし、大本は政府当局より国家転覆を企てる危険集団とみられており、後々弾圧を受けることになるのである。
大本を去ったのち、独自の道を模索していた谷口は「人間・神の子」善一元の世界、万教帰一の啓示を受けられ、 この真理を万人に伝えたいとの悲願の下に個人雑誌「生長の家」誌を1930年3月に創刊。
以後、同誌の普及に連れ、後に宗教法人「生長の家」に発展する。
主著『生命の實相』は通算1,900万部を超え、今なお多くの人々に読み継がれている。
このほか『眞理』(全11巻)、『新選谷口雅春選集』(全20巻)、『新選谷口雅春法話集』(全12巻)、 『谷口雅春著作集』(全10巻)等、多数の著書がある。
戒名 |
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玉垣 |
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職業 |
昭和期の宗教家(生長の家・創始者) |
境石 |
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没年齢 |
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竿石 |
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所在地 |
東京都府中市・多磨霊園 |
石質 |
黒 |
墓の方位 |
南 |
墓のスタイル |
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正面入り口の方位 |
東 |
台座 |
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