

久保角太郎
1892年、千葉県天津小湊町に生まれる。
小学校卒業後上京して夜学に通い大工修行をする。
内務省武蔵野学院建築要員に採用され、宮内省営繕課に就職する。
宮内省宗親課長・仙石政敬子爵に推挙され、
旧仙石藩の家老格の久保家と養子縁組入籍。
その後、文部省建築課建築係に就く。
西田無学の説いた先祖供養の話を聞いた兄・小谷安吉に触発され、
『法華経』による先祖の供養を始める。
行者若月チセと知合い、チセ・戸次貞雄と1920年「霊の友の会」を結成。
1925年横浜の法華行者西田俊蔵と実兄小谷安吉の妻喜美と「大日本霊友会」をつくる。
万霊を供養し、先祖を崇拝するという教義で信者をふやした。
1930年基本経典「青経巻」をまとめ、喜美を会長に、自らは理事長として、正式に発足式をあげ、
法華系新興宗教の草分けである霊友会の基礎を築いた。
(参考文献:コンサイス 日本人名事典)
小谷喜美1900年神奈川県の貧しい農村に生まれた。
25歳で小谷安吉と再婚。夫の弟久保角太郎の影響で法華経信仰に入り、女行者となる。
1925年久保や戸次貞雄らと大日本霊友会をはじめる。
戦後の社会的大混乱の時機に,教団は飛躍的な成長をとげる。
その後、立正佼成会など多くの分派を出した。
(参考文献:コンサイス 日本人名事典)
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