
わが国最初のノーベル賞作家、川端康成の死は突然だった。仕事場にしていた逗子のマンションの自室でガス管を口にくわえ、自殺した。遺書もなく、原因についても関係者の多くは首をかしげていた。日本だけではなく、国際的にも注目されていた人だけに、惜しまれた。
代表作には『伊豆の踊子』、『千羽鶴』、『雪国』などがあげられるが、作家安岡章太郎氏は川端への追悼文のなかで、つぎのように述べている。「……勿論、川端康成氏は決して生命を軽々しく扱われたはずがない。しかし氏の文学は『十六歳の日記』以来、いつも死と直面しており、ある場合には死と狎れ合っているようにも見えた。」そういえば川端氏は幼時に父母の死に出逢っていた。父母への思慕と憧憬から川端文学が生まれたといっても過言ではない。祖父母に育てられ、孤児意識からの脱出が処女作の底流となっていた。飄々としたカモシカのような川端康成だったが、反面、鋭い眼を併せ持った作家であった。
さて、墓は墓相家矢島俯仰氏の作とされている。鎌倉霊園の見晴しの良い一等地にあり、広さは作家の墓々の中で一番だろう。ゆったりとした墓所だ。
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墓地所在地は、変更になっている場合があります。
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